ふと、電車の中を見渡すと、sonyのイヤホンやヘッドホンをしている人が少なくなったと感じた。そして、国債引き下げのニュースのティロップが流れると、寂しい気持ちになる。ウォークマンが発売された当時は、sonyは日本の自信や誇りの象徴のような会社だった。新しいだけでなく、驚きがある魅力的な商品が次々と世に送り出していた。そして、当時、世界一のビジネスマンであった故盛田氏がトランジスタラジオをアメリカに売りにき、大手のOEMを断ったエピソードなどは、痛快であった。
ホンダも同じくそうだろう。一昨年、アメリカ進出50周年の記事が出たが、国内の販売は、昨年は、圧倒的にトヨタがシェアを伸ばしたが、過去、世界進出は、ホンダの方がうまく展開していったと思う。そして、ホンダもSONYと同様に、日本全体に大きな自信を示してくれた。
48歳の私が生まれる前に、米国市場進出といった事実に改めて驚かされる。昭和34年と言えば、まだ、戦後15年も経っていない。日本のオートバイが、まだ、認知されなかった時代での海外進出は、通常、考えれば無謀と捉えれるだろう。まだ、静岡の町工場の時から、創業者本田宗一郎が、みかん箱の上で「世界一のエンジンメーカーになる」語っていた思いが、ホンダが歩んできた歴史があるのだと思う。
オートバイといえば、アメリカ文化の象徴で映画にも度々登場したハーレーダビットソン。自動車では、クライスラーやGMが実質、倒産し、国がテコ入れを行ったことを考えると時代の流れを感じるが、当時は、ビッグスリーが君臨していて、日本の自動車はまだ、これからといった時代である。
分析的なマーケティングの検討のアプローチをしていたらあり得ない話である。大型オートバイが当たり前の市場で、スーパーカブを販売市場を、試行錯誤しながら世界のホンダへ成長したのは、まさに、市場を作り出すマーケティングだ。
グローバル化の進め方も、発想が当時から世界の視点であったと感じる。随分前だが、円高の影響もあり日本の海外進出が盛んになった頃、当時のホンダの専務の「ホンダのグローバル化」を題材に講演を聞いたがことがあるが、世界各国に建設したホンダの工場の運営の多くを現地人に任せている点もホンダらしい。であるからこそアメリカのロックやR&Bといった音楽の歌詞にも登場する位、親しみを持って受け入れられるのだろう。
子供の頃、ルイアームストロングの代表曲wonderful world が流れる中、ワンダーシビックが夕日の中で走っていくTVCMを、今でも覚えている。最近では、飛行機エンジン、ハイブリッド車のインサイトの発売など、ホンダの歴史には「夢」を感じる。残念なのは、F1撤退であるが、ホンダのF1に同行した技術者が「F1で勝つために、ついでに自動車と作っているような会社」といった所属するホンダのことを語っていたが、ホンダの経営や企業文化を表している。エコの時代には、ガソリンを巻き散らすレースは確かにまずいといった判断だろうから、やむを得ない。
日本の国債が格下げされ、菅直人首相の「うといので・・」発言には、ビックリしてしまったが、自動車やオートバイや家電商品は、ライフサイクルで言えば成熟期とも言われている。しかし、知恵を出せば、まだまだ新しいイノベーションは起きるだろう。そして、日本だけでなく世界を驚かすような日本全体を元気にする企業が必ず出てくるに違いない。
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